自分にしか書けない文章が書けても伝わらなきゃ意味がない

2017-08-21ブログうんたら

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私がかなり初期から読んでいるブログがある。
そのブログにたどり着いたのは本当に偶然だったんだけど
何故かなんかすごいと思ってすぐにファンになった。
そして最近そのブログを見るのがつらくなった。
そう、私はそのブログに嫉妬しているようだ。

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 人には持って生まれたものがある

文章力というのは努力でなんとかなると思っていた。
もちろんある程度は、ということだけど。

そのブログにとっての武器は、間違いなくその文章力だった。
どんだけ長文を書いても読ませる文章力。
これはやはり天性のものがあると思うのよね。
それに嫉妬する。激しく嫉妬する。

私にもきっと何か持って生まれたものがあるのだとは思う。
でもそれってなんなんだろ。皆目見当もつかない。
そうなると自分なんかなんて意味のない存在なのかと思うのだ。

自分にしか書けないものってなんなんだろう

ブログに限っていえば、自分にしか書けないものって何ってこと。

恐らくほとんどのブロガーがぶち当たる壁だとは思うのよ。
逆に言えばこれが分かればブログを書くことなんて簡単なのだ。

私のようなごくごく一般人が書くものに誰も興味はない。
それでも読んでくれるのは、自分が欲しい情報があるから
それは経験しないと分からないことだったりハウツーだったりするんだけど
私に限って言えば、やはり私が経験から得たことに尽きるのではと思う。

www.ok89.info

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TOPにタイトルが並んでいるものでパッと見このあたりが経験して書いたものかな?

経験から得たものを誰にでもわかるように書く

経験から得たものは誰にでもある。みな日々何かを経験しているからだ。
ではそれを誰かに提供しようとしたら。
そこで必要になるのは誰にでもわかるように書ける文章力である。
ほらまた文章力。結局文章力が必要なのだ。

自分が書くものだから自分は理解している。
でもそれを全く経験がない人が読んだ時、果たしてちゃんと伝わるのかな。
伝わっているかどうかもよく分からないし
伝わっていなかったとして他の伝え方もよく分からない。がんじがらめである。

村上春樹も言っている自分にしか書けない文章を誰にでもわかるように書く
自分にしか書けないものがあっても伝わらねば意味がないし
誰でも書けることを書いても仕方がない。(もちろん書いてもいいんだけどね)

言葉にするとすごく簡単なんだけど、これがかなり難しいのよ。
これが出来ているってことは文章を書くプロのレベルだもの。

作文を書くのか論文を書くのかエッセイなのか

・作文とは   経験や体験に基づいて自分の意見や考えを書いた文章
・論文とは   理論に基づいた自分独自の主張を論理的に書いた文章
・エッセイとは 個人的な印象や思いつき、人生観や価値観を自由な形式で書いたもの

作文と論文は読み手を意識して文章を書くのに対し、エッセイだけは一方的な発信である。
ブログを読んでもらうためにはもちろん読み手を意識する必要があるので
作文(自分の経験に基づいた自分の考え)を書きつつ、
論文的な要素(自分独自の主張を論理的に)も盛り込まなければいけないのではないかと思う。

私のブログはといえば作文、もしくは日記である。
この日記の部分はやめないといけない。日記とは個人的な記録だからだ。
読み手を意識しない個人的な記録。そういうのはアナログに残せば充分。
私を含め、多くのブログがここを間違えているのだと思う。

意識して書くだけで文章力はあがる

本当に少しづつだけどね。
私は論文が混じった作文を書くのであって日記やエッセイを書くのではないということ。

これを意識しながら書くだけで文章力はアップするのだ。
本当の意味で文章力があがるかは分からない。でもやってみて損はない。

人を惹きつける文章というのはそれだけで魅力的だからだ。

こういう本が売れるということは、みんな悩んでいることなんだろうね。

伝え方が9割。まさにその通りだ。
とにかく書く。どんどん書く。
書いたものはすぐに公開せずに下書きとして保存しておく。
翌日同じ文章を見ると直したくなるところがでてくるはず。
それをまた直す。読む。また書く。

結局のところ私のような凡人はそれを繰り返すしかないのだ。
哀しいけどどうにか伝わる文章を書けるようになりたいと思う。

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